日本酒の現状を憂い、失われていく日本文化の姿を重ね見ながら、日本酒の歴史を振り返る高瀬ワールド。その最新作『幻の酒~真の酒造りに燃えた男~』が7月20日に発行された。
この物語は、戦前・戦後と新潟県の日本酒業界を指導した鑑定官で、「研醸会」を作り、国税局退官後も「越乃寒梅」を含む16社の酒造りを指導した田中哲郎氏をモデルとしたもの。登場する人物や酒蔵は実在の名称であり、馴染んだ名前が並ぶだけに業界の人間にとっては読みやすい。また、読み進めていくうちに伝わってくる「田中哲郎」の緊張感あふれる蔵の指導と、日本酒造りに対する情熱には、業界のあり方や己自身をも省みることができるだろう。このように心を揺さぶる作品にはなかなか巡り合えるものではなく、だからこそ貴重だ。
作者・高瀬斉さんは、この本を通して訴えたかったことを、「低迷を続けていますが、日本酒は本来もっと魅力のあるものなので、その歴史的なもの、酒造りに係わる人々の思いを一般の人、若い人に知ってもらいたい。そして飲んでみたいと思ってもらえるようになればと思う」と語る。そして昨今、「特定名称酒」と言われる、いわゆるおいしいお酒を求めて酒の会などに大勢の老若男女が集まってくる現状を、関係者はどう見ているのかと思う。おいしい日本酒があれば、人は集まる。本の中で「田中哲郎」は『屑米でいい酒が出来るか』と怒鳴った。また『大量生産でいい酒が出来るのか』と疑問を呈している。
「田中哲郎」が目指した吟醸酒、業界がこれから造っていくべき酒として示唆しているのは、全国新酒鑑評会の出品酒のような、技術を駆使した、蔵で造る一番いい酒だ。それは日本民族が長い歴史の中で培ってきた、米で“醸造酒”を造る技術と文化をしっかり思い起こすことを意味している。日本人が、世界の人が「日本酒は素晴らしい」と言える世界を築き上げてほしい。それはそのまま高瀬さんの気持ちを代弁している。
近年若い造り手が、若い日本酒ファンを育て始めてきていると高瀬さんは言う。これまでの杜氏たちがあまり手がけてこなかった昔の『生酛』『山廃酛』、出荷時の保存技術の進歩に支えられた『無濾過』『生酒』など、敢えて大変な造りに挑戦し、彼らが“自分たちの飲みたい酒造り”を目指しているからだ。それが同じ味覚、感覚を持つ同世代の若者の心を惹きつけている。「以前ではなかなか口にできなかった味、小蔵ならではの味を世に問うてきています。これから『おいしい日本酒』の将来がひらけるのではないでしょうか」との言葉に、高瀬さんの飲み手としての日本酒への期待と、この流れを守りたいという強い思いが感じられた。(キクロス出版・本文3-2項/定価1890円<税込>)
【高瀬斉(たかせひとし)】昭和20年、新潟県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業と同時に漫画家生活に入り、ナンセンスものを中心に活動。日本酒に対する造詣が深く、全国各地の蔵元や酒販店を訪ね歩き、関係者にも慕われている。おいしい日本酒を広める活動を続け、純米酒普及推進委員会委員長、三ツ矢銘酒会会長、呑ムリエ会代表などとして講演会や勉強会なども好評。日本酒のことを真剣に考え、行く末を案じる一人である。